自己中心的に見える過去の成功者をどうしたら愛せるか
兼ねてから、気になっていて言語化できなかったことのヒントが見えてきたので書いてみます。
50代後半の方に多い言語パターンでいつも気になっていたのは、こちらがなにか事例やアイディアを話すと昔からすでにやっていたという話をとうとうと始めるというもの。 そこでいつもカチンときていたのは、それが、現在の状況にどう活かすかという視点が話のなかにまったくみられないため、ただの自慢話のように聞こえていたからなんです。
どうやって形式知に変換して現場を改善するかという目的で現代のエンジニアが血のにじむような努力をしているのに、そのノウハウを残そうとか形式知化して再利用しようという視点が全く見られない点にカチンと来ていたわけです。 もし昔やっていたなら、なぜ今やっていないのかという疑問がでてこざるをえないということです。
この話のポイントは、なぜそう言った言語パターンをとるのかという理由を理解できれば、たとえその場は自慢話でしかなくても、彼らを愛すことができるかもしれない。 そして、その言語パターンはいたしかたないことだと納得して、そこからでてくる情報をなんとか今に活かすような前向きな自分のアクションが可能かもしれないということです。
その一つは、彼らは教え方を教えられていないという点がありそうです。
業種によってはOJTの技術をしっかりたたき込まれるそうですが、IT業界でOJT技術を研修でやっているというのはあまり聞いたことがありません。
二つ目は、文化的な背景です。
技術は人から盗めと言われるように、おしえるものではなく盗むものだという価値感です。 日本の古い映画でみられるように師弟関係の美学がわれわれ日本人の根底に強く影響しているように思います。
つまり、自慢話しかしないことを悪いこととすら思っていない可能性があります。
三つ目は、変化のリスクです。
定年に近ければ近いほど、いままでやっていた方法でそこそこうまくいっていたものを変えるリスクが高くなります。 たとえ昔やったことのある成功した方法でも、今当事者として、現状を変えるにはリスクが大きいと本能的に感じているのではないでしょうか。
四つ目は、裸の王様状態です。
あるていどの地位を持ってしまうと、子供じみた行動をとっても、それを指摘されることはほとんど無くなり、周りの人間が嫌な思いをしているということを知る機会を奪われてしまっている状態から、こどもじみた自慢を辞められないということがあるのでは無いでしょうか。
さて、これで愛せるかどうか。