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達成への執着と自由さのバランス

執着は人間の行動の可能性を狭める傾向がある。
目標を設定して、絶対やるぞ的な意識でいると、工夫よりもパワーの方に意識が行きがちで結果が伴わない。 結果はむりやり徹夜したり無理にリソースをひねり出したりする。 
それは、ドラマチックで達成感があるかもしれないが、いつもなら自分が取らない行動を取れるようになる行動の質の違いをおこしたり、あらたな今まで知らなかった行動の可能性を見つけることにはつながっていない。 かけているコストから見ると実は達成とは言えないかもしれない。


達成へのもっとも効率のよい行動は、達成に執着せずに自由に発想し行動できる状態を維持しながら、しかし達成への方向を向き続ける一種矛盾したマインドの状態だと思う。 仕事をしていても、どこかふっと力が抜けていて集中しているときに、気がつくとすごい勢いで仕事が進んでいる経験は誰しも、1つや2つあると思う。 あの状態だ。


以前、受けたトレーニングでは数ヶ月にわたって毎日目標をコミットして夜完了の報告をした。 かなり厳しい指導で、当たり前な合理的な目標だと受け取ってもらえなかったし、怒鳴られた。 結果の報告は達成してもしなくても報告して終了。 これをつづけると、努力でやろうとしていた状態から、だんだん形骸化していって、うけとってもらうために、ウソの目標を平気で設定するようになってくる。そして全く行動しないしする気もない状態。w   


しかし、それでもそれをつづけると、自分にとってウソの目標のつもりだったのが、急に達成が沸き起こっている段階になっている体験があった。  よくよく分析してみると、全然やらないつもりの目標を宣言していたことの意味のなさをは自分が一番わかっていて、同時に達成への執着がない状態をそこで作り出している。 マインドとしては、達成してもしなくてもよい、そして、達成のための行動や探求を自由にやれる状態になったのだ。  いまでは、この状態にもどることは難しいが、そのマインドの種は確実に自分のなかに残っている。