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知識が邪魔をする

人は、新しいことがでてきたときに、「ああ、あのことか」と同型の概念といっしょに分類し理解する。 知識のとの対比で自動的に行って理解の速度を早めているわけだがそこには大きな落とし穴がある。

いつものわれわれは、知識がおおければおいほど、本当の意味をとらえずに近い概念を記憶のなかでみつけるだけで、理解したつもりになってしまう傾向がある。 人の話を最後まできかずに早合点しまうのはそのためだ。


もう一つは、教科書に書いてあることの方を正としてしまう傾向。
いつものわれわれは、現場の人の考え方のほうを否定しまいがち。 現場の考え方はたとえどんなに稚拙でも、現場に立脚しているという点で教科書より勝っている。 教科書とちがっているから間違っているというまでに、教科書の前提がその現場に即しているかをちゃんと検証しないと大きな間違いをおかすことになる。


たとえば、定義された開発プロセスに沿っているかどうかというのは、そのこと自体の学習効果はありとても参考にはなるが、こだわりすぎると現場のプロセスを改善するのには、あまり貢献しないだろう。 なにごともバランスなのだ。


さらにもう一つ、
「経験の伴わない知識のみの習得は、効果がない - Andy Hunt」
これも、昨日のXPJUGの角谷さんが引用されていた言葉。

人は権威にまどわされがちだ、とくにきれいに教科書にまとまっていると、あたかも意味深いことのように必要以上に感じてしまう傾向がある。 そこからもし、経験や実際の現場の経験に即した知識を軽視するなら、それはただの権威主義でしかない。  より大事なのは、知識をどう使うかどう伝えるかという戦略や対策と、そのために、どれだけ豊かに発想を生み育むかである。