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人は学ぶ存在であるということを本当に信じられますか。

XPJUG「アジャイルな計画と見積」セミナーで、角谷さんが仕事を開始するための自分への最後の質問としている、リーンソフトウェア開発から引用したことば。 すごくびびっときた。
アジャイル以外の開発プロセスや、ほとんどのマネージャーのマインドセットは、人が学習しない前提で「管理」を行っている。

みつもりをしたときに、どんなに変でも、見積より時間がかかっても、その人はさぼっていないそして学習の過程であるということを本当に信じて仕事をすすめることは、非常に難しい。 それこそ身をよじるくらいに難しく忍耐を必要とする。

しかし、人が学習することを信じていなければ、本当の意味で人が学んで行くことは難しい。

普段のわれわれは、「君が学んでいけるとは思っていないけど、学ばないとだめだぞ」と言っているようなものなのだ。



「リーン開発の本質」の監訳者あとがきに書かれている平鍋さんの最後の言葉がとても心に響く。

多くの間違った標準化が、「人は本来なまけものでありしっかり働かせるために規則をつくらなければならない」とか「人は交換可能である」というメンタリティーから発している。 もし、組織の文化や方針の中心にこのような考え方があると、もしくは多くの管理者がこのように考えている組織では、リーン活動は決して成功しない。 そうではなく「人の持つ工夫のモチベーションを活かす」こと、「一人ひとりの人を育てる」ことこそ、マネジメントの中心となるべきだ。「人」の要素はプロセスの中心である。ここをやりまちがえてはならない。


3/28追記:
文中の「リーン活動」はそのまま、「アジャイルプロセス」あるいは「組織活動そのもの」と言い換えてもいい。


現実の多くは、温度差のあるメンバー間の温度の低い方にあわせようとする傾向がある。 変えないでいい方に組織の施策はかたよりがちだ。 なぜなら、(あるときには小数の)温度の低いほうからの文句のほうに敏感に反応しがちだからだ。 組織は変化していかなければならない存在である、そのために全体の温度をあげることをするまえに低い方にあわせるのは停滞を促進してしまう危険性をともなう。 変わることを促進するどころか、変わりたくないパワーに栄養を与えてしまうのだ。

当日の動画:
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6570700