アドバイスができる関係
ある部下が、あることをきっかけに報告しても良いところは無視されて批判ばかりされて自分が落ち込むのが怖いという主旨のことを漏らしていた。
批判や改善の指摘は、関係性がなりたっているときにしか効果的には届かない。 それがどんなにやさしく言っていたとしてもだめで普段からいかに関係性ができているかにかかっている。
彼は、一方的な指摘からよっぽどいやな思いをした経験があるのだろう。
この状態は、抑圧か反発のどちらかがうまれ、しまいに病気になってしまう。
これも出来ていると思い込んでる人が多いのでもう一度チェックしてみよう。
実は、私自身もいつもその矛盾と戦ってきた。 結果として自分の対処方法は相手との関係性を自分の中で割り切って、あくまでも自分に有用な情報として扱うようすることでなんとかやっと精神を保っている状態だ。
プラスのストロークが普段からあって、その中に1割ぐらいの批判がある状態を維持したときに前向きに改善しようという意志がうまれてくる。
プラスのストロークは決して褒めるだけではない。 まったく褒めることが無くてもそれこそ犯罪者にもプラスのストロークをあたえることができる。
それは「労い」だ。
よくある刑事物のシーンで、犯罪者に、警官が「おまえも大変だったんだろう」とカツ丼をだす感じ。 あれである。
そこには共感がある。
どんなにできが悪くて褒めるところがない部下だって、労うことはできるのだ。
その関係ができていないと、仕事上一緒に解決すべき課題がいつのまにか、なすりつけあいや労使交渉みたいになってしまう。
たとえば、「君にこれをやってもらいたい」と仕事のアサインをしたときに「できません」と言ってきたとき、あなたはがどう反応するだろうか。
怒り出すだろうか、それとも、やらなきゃいけない理由を説明してどうやったらできるか一緒に解決すべき課題として一緒に探求しているだろうか。
どちらが、信頼関係をつくってきているかどうか、あるいは信頼関係をすぐに作れる人かどうかは説明の必要もないだろう。
相手が「できません」と言ったときには、2つの理由が考えられる。
一つは、やりたくなくて言っている場合。 一つは事実として難しいという判断を責任感から言っている場合。
後者は事前にリスクを提示している点で褒める必要がある。
表面上のことばだけで判断していたら、それは仕事のパートナーとしてあつかっているとは言えない。
あなたはあなたの部下を普段からねぎらっていますか?