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ファシリテーションに欠けていること

日本ファシリテーター協会のワークショップにでていた友人の体験談から、ふと思ったこと。


会議のファシリテーションで現実で問題になるのは、ほとんどの場合はファシリテーター自身もその会議の当事者であるという点だと思う。 専任の第三者ファシリテーターを呼ぶことはコスト的にも人員リソース的にも難しい。


そこで問題になるのは、ファシリテーターの感情のコントロールの問題だと思った。


ファシリテーションのテクニックや理論を知っていても、それをつかう以前の冷静さをどう保つかという視点がファシリテーションの技術自体に欠けている。


例えば、よくある頭の固い上役が感情にまかせて理不尽なことをを言って場が静まりかえる現象。 発言しようとするとさらに途中で口をはさんで同じ意見を繰り返す。そしてメンバーから発言が出てこないこと自体を侮辱してさらに発言がでてこない悪循環パターン。 


ここで起こっていることは、上役は100%正しい良かれと思って言っていることだと思っていってるので、それがいかに理不尽なことかということが気づいていない状態。 同時にメンバーの心の中はその理不尽さから怒りがわき起こっているのを必死でこらえている状況。 口を開けば対立構図になってしまうため、基本的に利害関係のある上役には対立できないという制約から口を閉じるしか無くなってしまう。
一種の裸の王様状態になって、上役はメンバーに意欲がないと勘違いし、さらにメンバーを侮辱し悪循環が継続する。 ストロークもへったくれも無い状態だ。


このときファシリテーターがいるときに取る手法は、上役の意見を人と切り離して取り出し、客観的評価ができる状態にしたり、上役にちゃんと聞いたということをフィードバックするために復唱し見える状態にして、上役が意見を言う行動を一旦完了させ、おなじ意味の意見が継続してでてこないようにストップをかけるとか、そのうえで違う視点がないかメンバーに発言をうながしたり、会議の目的とあっていなかったらパーキングロットに記述し、話題を変えるとかテクニック上はいろいろあるわけだ。


ここで、問題なのは、ファシリテーター自身が当事者だと、心の内には一緒に怒りが沸き起こっているわけだ。 それを我慢してわかったふりをしながらファシリテーションのテクニックを使うわけだが、冷静さを欠いているためファシリテーションに偏りが生じてしまう。 このことを解消する心理的な手法がファシリテーションに必要なのではかなろうか。