[ooaa main]  [object pasta2]   [essence] (旧blogはこちら)  [flickr]  [myspace]  [View Eiichi Hayashi's profile on LinkedIn] 

幻魔大戦とキースジャレット

mixiからこっちに移動)


ピアノの先生と、なぜかそうゆうはなしになった。
 
幻魔大戦といえば平井和正が自動書記のごとく、即興のように書き続けたもので、プロットもなにも話がどんどん拡散しつづけているわけで、その即興性のようなもの、一種の神懸かり的な心理状態から生み出されるという点が似ているのではないかと。
最近、ピアノのフリーインプロビゼーションニューエイジ系の演奏が増えてるそうだけども、なんというか、それ系はもういいのではないかという気がしている。
幻魔大戦のような自動書記的小説も同様。

これ系は、なんというかはまると麻薬のような、トランス状態のようにのめり込む。 それこそあの膨大な幻魔大戦もそうだった。 角川の30巻あまり、徳間の真幻魔大戦(たしか)20巻以上、ほとんど一気に読んだりしたもの。 自分の演奏もそう、それなりに入った状態でインプロすることはできる。

それはそれで気持ちいいし、いいのだけども、表現者としては、その気持ちよさに甘えてはいけないのではないかと思うんです。 あえてはまり続けるのは、それはそれでいいんだけど、そこじゃないところで勝負したいなと。
そうじゃないと本当の意味で文化の深さや、創作の意味が薄れるようなきがするんです。

そうゆうのはケルンコンサートや幻魔大戦があるからそれでいい。 あえて自分がやる必要はない。
もちろんそれらは決して嫌いではくて大好きです。