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当たり前とそうでないもの

当たり前だと思っているときの会話のパターンは「〜できないんですか」とか「どうなってるんですか」このとき相手は、悪化されたと感じて言った人の期待に沿った行動をとらないことが多い。
このときに相手を尊重した聞き方は「〜は困るんで〜してもらっていいですか」と、あくまで依頼として会話することでスムーズに行く場合が多い。
前者は、相手があらかじめ気をつけてやっていて当たり前だと相手を責めているいることになる。
後者は自分の環境の改善のためのただの依頼なので相手を悪化しない。 悪化されると守りに入るのでその悪化自体を否定しようとして行動が止まる。

また、「なぜそうなんですか」という質問は相手が悪化されたと解釈される場合が多い。
お母さんが子供に「なんでかたずけないの?」って質問の形で怒る場合が多いように、質問自体に相手を否定する意味がくっついている。
相手が傷つきやすいような繊細な内容を聞くときには、「なぜ」から「なにが」に変換して質問するとうまく行く場合がおおい。
「なぜそうなんですか」と相手自身の原因を直接的に聞くのではなく「何があなたをそうさせるのですか」と聞くことで、対象が自分自身でなく何かなので自分が悪化される危険がなくなり探求が深くなる傾向がある。

なぜこの話かと言うと今朝、母に目覚ましの音止められないのかと聞かれてむっとしたからです。
「めざましなっているの嫌なんで止めてくれる?」って言ってくれれば、「ごめん」って言って止める努力をしようと思うのになぁと。(笑)
なぜの例では、「なぜとめないの?」ではなく「何が目覚ましをとめることの障害になっているの?」と聞くこと。

常識=標準と理想が、なんらかの「当たり前だ」を形成している。 自分の標準と理想にあわないものがあると「当たり前だ」が発動しなんらかの感情が刺激され、相手につたわり悪循環が形成される。