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ほりえもんを巡る偏向報道は異常だ

テレビのコメンテーターのほりえもんに対する異常なまでの嫌悪感っていうのはいったいなんなんだろう?
現行のジャーナリズムの問題点を、そのまま表現しているだけなのに、現行のマスジャーナリズムすべての否定されているように感じている。 ほりえもんは新しい形態を提案しているだけで現行のシステムを全解体するとは一言も言っていないのである。
タイムワーナーとAOLとの提携の失敗になぞられて、ほりえもんバッシングされているがこれもまったく的外れであるように思う。
ほりえもんの所信表明をちゃんと見ているんだろうか、ほりえもんはなにもすべてのシステムを入れ替えようとしているのではないと思う。 今ある放送のシステムにインターネットの利便性を付け加えようとしているだけだけで、全部がひっくり返るような大それた革新的なことをやろうとしている訳ではないように思う。
AOLの失敗の原因はAOLみずからコンテンツ開発をやろうとした点と、インターネットインフラが充分でないのにはじめたことが原因であり、ほりえもんの戦略内容もインフラも全く条件が違うように思う。
ほりえもんは、ただ当たり前なのにだれも組織的に効率よくやらなかったことをやろうとしているだけなのに、現行ジャーナリズム側の異常な過剰反応は全く見るに耐えない。
ソニーの会長やダイエーの会長を初め日本のカリスマトップの交代が一気に起こっている。
ソニーの元会長出井氏自らが言っていた言葉「自らを全否定して新しいものを作れる企業でなければ未来はない」。
ライブドアとフジテレビとの騒動は、そんな全否定なんで大げさなものではない。 いまある当たり前のインフラを当たり前に有効に連携しようと言っているだけなのに、拒否反応の大きさはいったいなんなのだろう?  仮に全否定が必要な本当のパラダイムシフトが起こった時には、今の体制ではフジテレビは生き残れないように感じる。
今起こっているパラダイムシフトは「マス」の終焉である。 1対多の文化から多対多の文化へのシフトである。 シフトとは言っても1対多が消えるわけではないし消えるはずはない。 全否定が必要なほどのパラダイムシフトではないのである。
この点の理解が出来ていない勝ち負けの二元論でしか考えられない頭コチコチのコメンテーターの発言には本当にいらいらさせられる。