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心が汚れるとき

精神的な暴力を受けたり、気持ちを大切にされなかったり、不当な扱いを受けたりすることで、子供の心はだんだん汚れ、依存性を高めて不安定な心を作り出してしまう。 子供でなくても、それは同じことだ。 理不尽な扱いを受け続けたら恨みをもったり、恨みに隠れた依存性を高めてしまう。 極端になると犯罪に走ったり、自分を責めることにつながることになる。 恨みは個人にとっての正当性を最大化し、全能感をともなって取り返しのつかない行動につながる危険性を高めてしまう。


ゆとり教育や、社会格差の拡大にともなって、環境の悪化と同時に心が弱い人が増えているように思う。 不当な扱いをしないだけでは十分ではなく、意識的に正当なプラスの評価を与えられるような施策が必要なるはずだ。 自分の存在の意義を感じられる、達成感や有能感まかされ感を感じられる機会を増やす事が必要になると思う。


もう一方では、心を防衛する力を育てなければならない。


その一つは許すスキルだと思う。 宗教ぽくてなんだか変な感じだが、キリスト教や仏教などの宗教の教義は、一種の心のありようの技術を提供していると思えることが多くある。 五日市氏の「ありがとう」の言葉もそれに通じるように思う。 氏はいやなことがおこったら、まずまっさきに「ありがとう」と言うとい良いと説いている。 なにか大きな失敗をしたときに「ありがとう」というと、なぜか軽くなるものだ。


不当な扱いを受けたら、そこから学べるをことを探し、それをおこした相手にフォーカスするのではなく、経験から学ぶことができる、その学びフォーカスすることで、恨みの感情を少なくすることができる。 これも練習が必要。
恨みやマイナスの感情を持っている時間が長いほど自分の心への悪影響が大きくなってしまう。 乱暴な言動はなるべく避けて、調和を作り出す思いを探し、そこからなるべく早く抜けて、よいことにフォーカスした方がよい。


体と同じように、自分の心にもよい栄養を与え続けることが重要なのだ。


ということで、いろいろリセットして、本年も楽しくいきましょう。笑