[ooaa main]  [object pasta2]   [essence] (旧blogはこちら)  [flickr]  [myspace]  [View Eiichi Hayashi's profile on LinkedIn] 

アジャイルプロジェクト自体をPMのトレーニングとして使う可能性


id:ebackyさんにTrackBack


http://d.hatena.ne.jp/ebacky/20090425

SMで悩むことってSMだからということではないんです。
本当は、この世界に入って1年目から悩むような事だと思えたのです。
1年目ではなかなか、そこに思考が繋がりにくいとは思いますけどね。
ある種の覚悟がなかったり、甘えだったり、見えない壁を作っていたり、e.t.c..


スクラム導入支援をさせていただいている、id:ebackyさんのブログエントリー。
id:ebackyさんはPMもばりばりやられていたそうだが、スクラムスクラムマスターをやってみることで、チームマネジメントの質が見え始めたという主旨のエントリー。


そもそも、ウォーターフォールだろうがなんだろうが、チームで仕事をするかぎり、相互協力体制としてチーム作りはできていてしかるべきと言われてきたし、やっているはずのものと思われている。 ところが、PMBOKを初めとするPMの視点には、ファシリテーションのは暗黙にあるものものとして、明確には書かれていない。 結果、変化は許容せずムダなモノを作り、チームワークもなく個人が孤立して特定の人が大変になるプロジェクトはざらにある状態になってしまった。


なぜなら、チームワークやファシリテーション的な質はプロジェクトマネージメント以前の問題として、組織そのもののスコープのなかで語られているからPMのスコープからはずれたのではないかと想像できる。  PFドラッカーや石川馨のチームやメンバーのモチベーションの考え方などは、組織論としてソフトウェア業界が存在する前から存在していたのだ。 それこそ、ソフトウェア業界が存在する前から日本の製造業のチームマネジメントは人を活かすことに卓越していた(る)のだ。


アジャイルな方法論は、人をいかに活かすかというはるか昔からの組織哲学に回帰しているとも言えるだろう。 つまり逆転の発想として、アジャイルプロジェクトを人やチームを活性化して活かすようにファシリテーションを使ってマネージできるならば、ウォーターフォールのプロジェクト管理もかなり容易になると想像できる。


PMなどの知識レベルは重要だが、それと同じくらい大切なものとして、経験とトレーニングでしか学べない領域が絶対的に存在する。 逆に人を活かすマネージメントスキルに卓越していれば知識レベルはなんとかなるものだと感じる。
そのことの反省からハーバードなどでやってるMBAケーススタディに重きを置くようになったと聞く。


頭でっかちでなにもできないマネージャはざらにいるし、逆に知識はなくてもその人のそのチームはすごくうまくいっているマネージャも存在する。 知識はあってもいいがそれを必要以上に権威づけすると弊害をもたらすだろうと想像できる。


このことから、積極的にアジャイルプロジェクト自体をPM育成のトレーニングの機会として活用することが可能であろう。

PS.
私にコーチをさせていただく機会をいただいて、id:wayaguchiさんやid:ebackyさんには本当に感謝しています。 自分が提供できるものは、血の一滴のこらずすべてだそうと思っています。 こんごともよろしくです!