「べき」は幻想である。
部下の週報にコメントしたメモ。
物事はすべてバランスである。
支配的な要素がなんであるか、なぜそうなのかをみきわめないと、たとえ常識と思われいることでも簡単に真実ではなくなる。
たとえば、よくある「グローバル変数はよくない」という命題も、不特定なプログラムから更新される可能性があって、それが探知しにくいという条件下でのみ成り立つ。
つまり、特定の条件下でしか、その「よくない」状況にならないわけだ。
グローバル変数であっても、他の人が更新することは無いに等しく、かつ、あらゆるプログラムから参照するデータはグローバル変数にしたほうがよいのだ。
人は「べき」と言ったとたんに、そのほかの支配的要素がないかを探知しようとする心の動きが鈍る傾向がある。 だから「べき」は要注意なのだ。
一方で自然界においてある要素の他の要素への影響は、指数関数的なので、無限に可能性のある影響要素は、ほとんどの場合支配的な数個の要素に絞って考えればよい。
たとえば、音が聞こえるレベルがデシベルといった指数関数曲線で表現されるのはその理由だ。
つまり、主要要素のレベルが10増えると影響は100だが、周辺要素のレベルが1000万増えても影響は0.01になるような感じである。
周辺要素が1万種類変動しても、影響はほとんどないが主要要素は1つでも変動すると影響がとても大きい。