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ファシリテーションは透明

English version:
http://essence-e.blogspot.com/2008/08/facilitation-is-transparent.html


ファシリテーションコーチングはうまければうまいほど、その人の存在がみえなくなってくる。
それこそ、私が知っているすご腕のファシリテーターの方はほとんど遊んでいるようにしか見えない。
成功すればするほど感謝されない存在である。 NLPやカウンセリングもしかり。 それこそ過剰な権威化はうまくいかない。 現場の権威勾配がつよすぎると依存が強くなり個人の自律への変化は遅れる。


ここがビジネスでチームをファシリテートする場合やコーチングを展開するときのむずかしさの一つになっていると思う。
成功した状態からは、そこにファシリテーターの力があってこうなっているというのが見えない状態になっているから、評価されにくいからだ。 いなくなって初めてその人の存在がわかるってやつ。


意図的にやっている(あるいは意図的にやっていない)ことが、それではだめだとか、管理能力がないとか、逆に否定されることすらある。 永遠にみとめられない存在なのだ。


逆に当初研修をリードするときも新人らと喧嘩状態。面接ではなんども泣かせた。 容赦しなかった。 ファシリテーションNLPも知らず権威化がもっともうまくいかないパターンをやりながら、失敗をたくさんやってきた。 しかし、それでも情熱は伝わったのかもしれない。 いまではそんな効果的でないやりかたしなくなってきて、多少は透明に見えるようにできるようになってきたと思う。


この10年ちかくかけて、教育制度の構築をとおして会社を大きく変えた。 ピークの年、数年間は4月からの研修期間の数ヶ月、家に帰ってから寝るまでこのことをやっていた。 休日もマネージャのためのワークショップをリードしていた。 自分の時間すべてを使った。 会社にWG制度をたちあげるコアチームをスタートした2003年がもっとも負荷が高かったように思う。


あんなに社内の抵抗がつよかったのに、いまではまるで活動としてのWGがなくても空気のように確実に存在している。 あんなにバラバラだったのが、なんとなくベースでつながっている状態になっているのだ。