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ねぎらうことと、褒めることは直行する


先週から、ライフコーチのSさんに個人コーチングを受けている。 これは先週Sさんから紹介された本です。
 
ねぎらいというのは、褒めることがなくても叱るときでさえ可能な直行する概念であるというのには、「確かに!」と思った。
たとえば、犯罪者であってもねぎらうことができるのである。 自供させるときに、カツ丼食うか?といって落としにかかるような、いわゆる刑事物のおとしの山さんみたいなものだ。
 
ねぎらいには、その人への敬意が含まれている。 TAでいうところのストロークの一つと見ることができる、ねぎらいは存在に対するストロークの強力なものであると考えられるだろう。
 
人は「意味」のないことにはモチベーションを持てない、意味のない単純なことだけをやらされていたら本当に気が狂ってしまうそうだ。 逆にやることの意味が明確であればあるほど、自発的な行動が生まれてくる。 
 
仕事をしていて一番うれしいのは、その仕事の結果お客さんから「ありがとう」って言われたときだというのもとても納得できる。 最大の快を得られることが一番モチベーションにつながるわけだ。 心理的な快が次の行動の源泉になっていく。 本ではねぎらいを通してチームをつくることで伝説になるような成功するチームができることを実際の成功例とともに説明している。
 
逆にほとんどの現場は、つぎの行動へのモチベーションにつながるような魂のごちそうとしての「快」をあたえられるどころか、社員を力づけようという工夫や意志すら見えないことが多い。 それどころか暴力的に否定され発言を許されないことすらある。

ただでさえ与えないということだけで、即奪うことになってしまう場合も多い。 われわれの責務は常につぎの行動へのモチベーションにつながる点を探し続けて、意味と快を適切なタイミングで与えることなのだ。