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完全にトップダウンではできない。

平鍋さんの「全体は詳細に先行するか?あるいは、「作り出す」ことの中心について。」にTBさせていただきます。
http://blogs.itmedia.co.jp/hiranabe/2006/06/post_997b.html#more

この記事はさらに結城さんの元の記事にTBしている。そこには、「本はトップダウンには書けない」ということ、そこから、ソフトウェアもトップダウンではできないという論旨。 この2つを読んで思ったのは、組織も完全にトップダウンではうまくまわらないのではないかということです。 本を書くときに構成を考えて各章の内容を考えてっていうふうにトップダウンではできずに、本文をちゃんと書いてみる。 ソフトウエアでは、一部を書いてまず動作させてみる。調整しながら全体のアーキテクチャーを洗練させる。
組織では、トップが戦略を作って下が戦術を作ってさらにその下が実行する。 そんなきれいに四角四面では進むことはまずあり得ない。下がまず実行して結果をだして、そのパターンを抽象化し戦略化し、別の部門や課題に応用して戦術化し可能性を広げて行くというのが現実的なパターンではなかろうか。

その意味で当社の研修制度も、まずやってみよう、実績を先に作っちまえというということでやったことで、うまく行っているのだろう。 現在はワーキンググループの運営ノウハウやパターンを正式な組織の作法にのせて応用していく過程なのかもしれない。 危険なのは今後、下の行動力、やるき、気概がトップダウンの組織化がすすむことでそがれてしまうことだと思う。 新しい事にチャレンジする気概をはたして維持できるやいなや。 もともとあったのかどうかという疑問はとりあえずおいておこう。

トヨタが低迷から脱出したのも、決してトップダウンアプローチではなく若い人たちの、新しいアプローチの推進からであると、どこかで読んだ記憶がある。

社会や文化が新しい概念のムーブメントが起こったり、発展したりするのは国家というトップダウンな社会構造がもたらしているものではあり得ない。 社会の所属する企業の反骨精神であったり、ニートをある程度許容する社会構造であったりであって、四角四面なかっちりした組織文化では決して新しい革新的なアイディアは生まれないのではないかと思う。 ちょっと前までのソニーは意図的にちょっとした反組織的、非常識的な要素をとりこもうとしていたように思う。
ソニーの超能力研究所が無くなったときに思ったのは、これからはソニーからみんながあっと驚くような面白い製品はでてこなくなるんだろうなという、ちょっとした喪失感をともなった予感だった。