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担当

担当意識という点をちゃんと教える必要があると思った。
担当責任とは、自分の能力に依存しない。 理解できないからあるいは理解する能力がないから責任がないという論理はなりたたない。 その点を研修でつたえるのは難しいように思う、なぜなら、研修自体の構造が「わからない」から「教えてくれる」という構造になっているから。 
そのため、「教えてくれる」ものは「教えてくれないとわからない」になり、「教えてくれないものには責任はない」になってしまう。

担当意識は理解力も理解度にもまったく関係ない。 これは決してわからない上に無理をしなければならないということではない。 無理をするということ担当意識をもつことは同値ではない。
理解できない状況を含めて担当として責任をもった行動とは何かという問いが自分にできるかどうかの差でしかない。 

(一部削除)