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女王の教室

ドラマ自体はとても感動しました。 
ちゃんとドラマとして成立する終わり方でよかったです。
いろんな問題提起をしているドラマだと思いますが、あのまま、厳しくすることがいいんだっていうタカ派的な流れになる危険を少しだけ感じる。
そもそも、今の教育が生温くなってきたと言われる背景は、戦前から続いていたいわゆる兵隊教育的なこわーい先生が、体罰とかしながらしつけを行うような、そこからつづいた戦後教育はアメリカから輸入した後にグローバル経済とか言われる、アメリカ的資本主義的発展を目標とした「戦後高度成長」を背景とした偏差値教育。
さんざんそうゆうのをやって、オイルショックとかバブル崩壊とか、学校の荒廃とかあって、高度な経済成長自体がありえなくなってしかも環境問題とかあって、環境にやさしく、教育も偏差値で競争させるような殺伐とした教育は是正しようっていう動きがでてきた。
そこから、ゆとり教育とかいって、偏差値なくしてみたり、教えることをすくなくしたり円周率を3にしてみたりしたわけだ。
そうすると、今度は学力低下とか、理系離れとか、教師の質がおちたりとかが問題になって、偏差値のほうがよかったみたいな感じがここ数年でまた盛り上がっている。
その流れの一環として女王の教室を見られてしまう危険を感じるわけです。
たぶん、偏差値がいい、やっぱり体罰がいいんだというふうに短絡的に解釈される危険を感じているわけで、女王の教室で真耶の台詞が言っているのは、決して偏差値がいい、体罰がいいんだとは言っていなくて、教育の理想を実現するための方法としてとっている行動がそう見えてしまう危険のことなわけです。
僕は一番メッセージとして聞こえてきたのは、今を大切にということと、「いいかげん目覚めなさい」で代表される、ちゃんと問題をみて、ちゃんと今をみて、ちゃんと自分の人生に責任を取りなさいという価値観なんです。
真矢の教育スタイルについてどーこーいうつもりはまったくなくて、ドラマとして成立するための一つの道具であって、その道具ではなく、そこに流れる価値観をちゃんと見てくれることを期待したいわけです。
真矢の(本編での)笑顔を最後に取っておいた演出は脱帽です。