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新人研修デブリーフ

その場では意識できなくて説明できなかった微妙な違和感が残った。
その発言者の実績からみて、私にその真意が理解できていないか私が誤解している可能性の方が高いが、私の違和感がどうゆう(私の)誤解からきているかを考えてみた。

オペレーションは楽しければモチベーションが上がるのは100%同意するけども、意識として仕事をする理由が楽しいからが主だったら遊んでいるのと一緒ではないだろうか。
立場として組織やプロジェクトのミッションに貢献するという点が第一であって楽しくすることはそのために有効な条件の一つであって主であってはいけないとおもう。 この仕事は楽しいからやる、楽しくなかったらやらないということではない。 仕事でお金をもらっている以上責任が発生してるわけだし、お金を出している方の目的は決して「楽しくすること」ではない。 
組織やプロジェクトの運営のためには、約束やそのミッション達成に対して責任が発生する。 それこそ楽しくないからやらないとか、管理者の納得できる理由なしにやりたくないからやらないだったらプロジェクトや社会は成り立たないし責任もなにもあったもんじゃない。
創造的な仕事には楽しい雰囲気が絶対必要だという思いから僕の現場はいつもメンバーがなるべく楽しく自由にやれるようにしているけども、それは決して楽しいから仕事をしようということではなくて、プロジェクトのミッションを達成するために必要なことの一つとして、ただしそれはとても重要な条件の一つだと思ってやっていることであって、主ではない。
それが、若い人には楽しくできればそれでいいんだと誤解されているか、あるいは誤解される危険があるんだとすれば、なにか伝え方が十分でないかもしれない。

一方でモチベーションがもっとも高くなるのは楽しいとかではなくて、その組織やプロジェクトのミッションに同意できて、そのミッションに貢献したいということからだと思う。 自分の仕事の成果が貢献になっていることを感じることほど、やりがいのあることはないとおもう。 組織の運営側の視点としては、ビジョンやミッションの周知、啓蒙をとおしてモチベーションマネージメントをしっかりやっていくことが重要な課題の一つだと思う。

追記:
なんというか、そもそも「若い人」にそういった義務感や責任感は期待できないという視点があるような気がした。 つまり、社会や会社の発展や問題の解決に対して義務感やモチベーションを持てないある意味自分さえ楽しければそれでいい未成熟な人もいることもやむ終えないという視点。 まずは義務感や責任感がない人にはないということを認めた上で成長の段階として悪化せずに、柔軟に成長のレベルに応じたモチベーションマネジメントを行うということと、平行して社会人としての意識教育をやっていくというのが現実解かもしれない。

さらに追記:
貢献にコミットがないメンバーはある意味合理的なただの作業者としてのパートナーシップでしかないのは悲しいがしかたのないことかもしれない。 夢を語り合ったり、その仕事の存在意義から一緒にその成果を喜びあえる人たちを増やしてそうゆう人たちと仕事ができるような状況を作りたい。

さらにさらに追記:
もしかして、発言者は義務感やビジョンへの同意がないことは或る程度しかたない、そこから始めるしかないことだということが言いたかったのかも?